天光院
東京都港区芝公園1-3-16
TEL:03-3431-1328
FAX:03-3438-0590
平安末期、末法の世に苦しむ衆生に、阿弥陀様のお念仏をお導き下さった、法然上人(円光大師)さまがお開きになられた、浄土宗、江戸大本山増上寺の山内寺院として天正十二年(1584)開院。
第一世住職円也上人より二十三世、四百余年にわたり江戸の町とともに悠久の思いを受け継ぎながら、都の杜に静かに時を刻む心の淨域、陽光と木々の緑のやすらぎに包まれた寺院です。
平成7年(1995)9月23日、天光院境内にあった「旧芝幼稚園園舎ホール」跡地に、集会所として完成しました。
名称である『シュリー』とは梵語・サンスクリット語で「吉祥(きちじょう)」という意味であり、多くの人々に良いご縁を紡いでほしいとの願いがこもっております。
主に天光院の檀信徒の葬祭・法事や行事の際の集会、飲食、休憩に供する事を目的とし、また地元住民の催しやNPO法人・各種団体の利用に広く開放されております。
ホール壁面には画廊風に絵画等をかけられるフックとレールがあり本格的な展覧会も催せます。壁面は延べ42m、高さ2~5m。椅子とテーブルを並べて72席、椅子のみで100席収容可能。音楽会用の小型グランドピアノが常備されています。
当院墓所内には、天光院九代目住職、詮也上人(せんやしょうにん 享保七年寂)が墓所として建立した『不動明王座像』が伝わり、多くの災禍・戦災をくぐり抜けてきた御尊像は、赤御影石によるもので、恐ろしい形相をしております。像の高さは四十五センチでありますが、台座から火炎光背まで入れると約一メートルになります。その憤怒威厳のご尊顔から、当時より厄除冥利の不動尊として御祈願が行われ厚い信仰を集めておりました。
こうした伝統の中で、多くの皆様の健康や家庭円満を祈り、ひとまた、ご家族一人一人の願いが叶いますように、正月には初祈願として御寶前に御祈願し祈願札を授与いたしております。
日比谷通りを望む西側には、お子様方の無事なる成長を祈念して、芝子育て地蔵尊が安置されております。これは昭和五十七年三月、法然上人御生誕八百五十年を記念して建立されました。
日夜通行の人々に慈悲の眼差しを注ぎ、有縁無縁の人々から帰依を受けております。
天光院には、浄土宗の宗宝であり戦前は国宝にも指定されていた江戸初期の浄土宗の名僧にして、徳川家康公の宗教ブレーンとして活躍した『観智国師源譽存応上人(かんちこくしげんよぞんのうしょうにん)』の肖像画があり、存応上人(ぞんのうしょうにん)が亡くなる二年前、天光院二世住職の春貞上人(しゅんていしょうにん)に授けられたものであります。これは江戸時代の初めから天光院に代々伝えられ、第二次大戦中の戦火を恐れて、鎌倉高徳院の大仏胎内に保護されたため難を逃れ、今日まで無事に伝来しております。
この肖像画が、これほどまで大切に守られてきた理由は、「観智国師肖像(かんちこくししょうぞう)」は、大本山増上寺御法主(住職)晋山(しんざん)の儀式に先立って行われる【伝衣式(でんねしき)】の主役となるためです。伝衣式というのは、先代住職から衣鉢(いはつ)を伝える儀式で、これによって後継者として信任されることを意味し、この肖像画への礼拝があって、晴れて増上寺晋山が成立するという儀式次第として永く伝来しております。